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空気を読まないことは悪いことではないです

 数週間前、ある甘味処にカキ氷を食べに行ったときのできごとが痛快だったので、ここに書き留めておこうと思う。

 私が入店した時点での先客は6人。そのうち2人が私と入れ替わるように店を出て、残りは4人のグループ客と私となった。
 その店の店主は非常におしゃべり好きで、ちょっとしたきっかけで話がはじまると、どんどん枝葉が拡がっていって止まらなくなるという特徴がある。よくいえばフレンドリー、悪くいえばちょっとうるさい(笑)
 私はといえば、人と話をすると精神的に非常に消耗する性質なので、できればそっとしておいてもらいたいところだった。
 その日は、私がメニューを見ている間に店主の話相手は先客の4人グループの方に定まったようで、ちょっと安堵した。
 しかし、聞こえてくる話の内容は非常に興味深いものであった。
 その4人組は、東京からやってきた観光客だったのだが、観光のメインの目的が「炭焼きレストランさわやか」(以下「さわやか」)でハンバーグを食べることだったのである。

 以前にも投稿したとおり、私は10数年前から「さわやか」の供するハンバーグの、実際以上の高評価に疑問を抱いていたのだが、あまりにも世間での高評価ばかり見聞きしすぎたせいで、自分の味覚がおかしいのでは?とか、もしかして昔より格段に味が良くなっているのか?と、自分の判定の方を疑ってしまったことがある。
 そのモヤモヤを払拭するために、15年くらいぶりに「さわやか」へ自分の意思で出向いてハンバーグを試食してみたのである。
 結果的には、私の評価が妥当であることを再確認することができたうえ、世間の絶賛ぶりは、ある種の魔法にかけられているためであることを認識するに至った。
 魔法というのは、たとえばディズニーリゾートへ出かけると、巨大黒鼠の耳を模した飾り付きの帽子だとかを、いい歳した大人でさえ恥ずかしいとも思わず身に着けられるようになってしまうのに代表される、一種の「空気」のことである。
 リポートは→http://airchokin.exblog.jp/27656269/

 4人組の観光目的を聞いた店主は「どうでした?」と問うた。もちろん「おいしかったですか?」という意味だ。
 黙り込む4人組。
 数秒の沈黙がすべてを物語っている。
 全国的に評判となっている地元レストランのハンバーグ。
 よその人からすれば、私のような地元の者にとって「さわやか」の存在は誇りなのではないか?とでも思っているのだろう。
 そんな“誇り”を、よりによって地元の人の目の前で悪く言うことがはばかられたのにちがいない。
 彼らはやさしい心の持ち主なのだ。
 そんな4人組に、店主はあえて重ねて問うことはせず、持論を述べ始めた。いわく、

 ・僕にいわせれば、あそこのハンバーグは肉団子
 ・ハンバーグをおいしくしようと思ったら、本当ならいろいろと手をかけて“ハンバーグとしてのおいしさ”を追求するのが筋だろう
 ・でもこの県では山海の幸に恵まれていることもあって、素材そのもので直球勝負しようとする傾向が強い
 ・「さわやか」のハンバーグも、もしかしたらそういった気風の生み出したものなのかもしれない

 「さわやか」はファミリーレストランなので、国産県内産の牛肉などコスト的に使えないだろうから、地元の素材そのものの直球勝負というのは、少し話がちがうように思うが、おおむね理解できる論ではある。
 なかでも「あそこのハンバーグは肉団子」というのは、秀逸なたとえだ。
 断わっておかなければならないのは、私は「さわやか」のハンバーグをまずいとは思っていないということである。
 決してまずくはない。牛肉だけで作られたものとしては平均的な味であろう。
 しかし、評判が評判を呼び、全国からそれ目当てで人が押し寄せて渋滞まで発生し、手放しで絶賛されるというレベルでは断じてない。
 問題なのは、平均的な味という事実があるのに、どういうわけか評判だけが異常に高い下駄を履かされていて、その評判に釣られて、今回の4人組のような、ある意味“被害者”が出てきてしまうという現状なのだ。

 彼らはその“沈黙”によって、世間に流布される評判に対して、消極的な「NO」を呈示してみせた。
 とはいえ帰京した彼らが、その体験を知人にそのまま話せるかどうかはわからない。
 もし「さわやか」の評判が、知人からの絶賛という形で彼らにもたらされたものだとしたら、人間関係を危うくしてまで正直な感想を伝えるのは難しいと思われるからだ。
 そうでなくても、世の中のみんなが(その中には福山雅治ら潤沢な財力で美食の限りを尽くすこともできる有名芸能人も含まれているのだ)絶賛しているものに対して「NO」というのは、一定のリスクをともなうかもしれない。
 しかし、実際におかしいものにおかしいと言うことは、何も悪いことではなく、むしろ積極的にやらなければならないことのはずだ。
 生物が外的刺激や疾病によって痛痒などの感覚を発するのは、異常であることを発信し、なんらかの対処を促すためであり、もしこの機能が阻害されていれば、異常の発見は遅れ、生命の危機へとつながってしまう。
 空気を読んで、おかしいことにおかしいと言わないのは、病気で痛みを感じているのに我慢し続けて、いたずらに死を待つのと同じだ。
 自分の身を守るためだと思って、おかしいと気付いたときには、積極的におかしいと言おう。

 ……とはいうものの。
 世の中には悪いやつがいて、明らかにおかしいことを、巧妙な手口でおかしいと思わせないようにしてしまおうとすることがある。
 最近では、加計学園の話が典型的な例で、総理の友人「だけ」に便宜を図った疑いが濃厚であることが最大かつ根本的な問題なのに、「岩盤規制ガー」と、一般論に話をすり替えて世間を幻惑しようとする人々が出てきて、ため息が出たものだ。
 ハンバーグの評価くらいでああだこうだ言っていられるのは平和な証拠なのかもしれないが、なんにせよ、簡単に騙されないように、世間に流されず、自分で考え、自分で判断できるように、そこは常にこころがけていたいものだ。




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by faint_breath | 2017-08-16 23:57 | 残日録

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