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 杜このみは不選出、スピッツも出ないという結果。
 杜このみが出るという、紅白で唯一おこなった私の予想は外れた。
 いまの演歌界の状況で杜このみを出さないというのであれば、いったい他に誰を出すというのかというくらい、意味不明な結末。
 ポップスに当てはめて考えてみると、AKB一派のグループやジャニーズ事務所のグループが一組も出ないのと同じようなものであり、状況を把握できていないとしかいいようがない。
 スピッツの方は、やっぱり出ないのか、くらいの印象だ。
 ツアーの最中ということもあって、あまり無理してほしくないから、この結果にはなんとなく安心している。

 この二組以外のことは興味がないので、記事全体をパッと見て、その名が見当たらないことを確認したら終了。
 ほかの誰が出るのかは確認しなかった。
 あとで聞いた話だと、星野源や五木ひろしは出るのだという。
 星野源はともかく、五木ひろしが出るというのはよくわからない。本人と年寄り視聴者への忖度だろう。
 そういうわけで、メイン出演者に関する今年の焦点は、星野源がなにを歌うのかだけとなった。

 もしかしたら、スピッツが朝ドラ関連枠として特別出演するのでは?という噂も流れている。
 そうなったら当然録画して見ることにはなるのだが、彼らがそういった特別な待遇を了承する可能性は低いように思う。
 それから、意外な人が脇役のように出ることもあるので、やはり録画はしておいた方がいいのかもしれない。
 いつだったか、当日まで極秘で神保彰が出演したことがあった。
 世間一般の人にとっては「なんかテロップ出てるけど、そもそもこの人誰?」だったかもしれない。
 そのほか、ティンパンアレーのメンバーが出演してあとで話題になったり、寺尾聰のサポートが超豪華メンバーだったこともある。
 というわけで、NHKにはタイムテーブルの事前公表以外にも、誰のサポートは誰という情報も公表してほしい。
 名前までは出したくないということなら、せめて誰かの出番のときには超豪華ゲストが共演する、くらいのチラ見せ情報でもいい。
 そうすれば、見ようと思う人はもっと確実に増えるはずだ。
 “サプライズ”なんて、そもそも見ていてもらわなくては何の意味もないのだから。


 ※文中敬称略



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# by faint_breath | 2019-11-17 11:34 | 芸能
 結局、去年は『NHK紅白歌合戦』を一秒も見なかったのである。
 それは、知らない歌手ばかりで見る気が起きないという、私自身が時流に乗れていないという自己責任によるところと、笑いを取るためにちょこちょこ挟まれる、あからさまに台本通りの出演者同士のやりとり(これは『うたコン』や『生活笑百科』にも見られるNHK演出の特徴といえる)がまったく笑えなくて痛々しかったり、寒い余興が挟まるせいで、なぜか私が申し訳ないような気分にさせられていたたまれなくなってくるのを防ぐためと、極々少数の見たい出演者のために出演時間を予測してピンポイントで見ることが面倒なことなどが理由である。
 録画して見たいところだけ見ればいいとはいうものの、去年私が見てもいいかなと思えたのは星野源ただひとりだった。
 そのただひとりのために、4時間もの録画時間の中からわずか5分未満を探し出すのは非常に面倒だし、去年の星野源が歌った曲「アイデア」は、そもそそれほどいいと思っていなかったので、べつに見なくてもいいや、となってしまったのである。
 そんな紅白に、今年はスピッツが出るのではないか、と言われている。理由はいうまでもなく朝の連続テレビ小説の主題歌として「優しいあの子」を書き下ろしたことだ。
 どこかのニュース記事では「有力」とか「確定」とか書かれていたらしい。私はそういう記事を実際には読んでいないのだが、どうせあと数日もすれば事実が判明することだ。

 さすがにスピッツが出るともなれば、最初で最後だろうし、録画してそこだけ見る(あとは星野源が「ドラえもん」で出るなら見る)のだろうけれど、彼らの出演に際していくつか心配がある。
 ひとつ目は、演出の問題。
 出演するとなれば、そのいきさつから言って、必ず連ドラとの絡みがあるだろう。
 話程度で終わるなら問題ないのだが、もしドラマの主要出演者が同じステージに並んで歌うなんてことになったら大変なことになる。リーダー田村明浩が動き回れなくなってしまうではないか。
 ふたつ目は、出演時間の問題。
 連ドラとの絡みともなると、番組中盤あたりでの登場が予想される。過去には例外もあったようだが、基本的には中盤以降と考えていいだろう。
 そうなると、三輪テツヤの活動限界時間の21時を過ぎてしまう。ただでさえ見た目に反して演奏中の動きの乏しい三輪が、あまりにも止まって見えたなら、それは彼が眠ってしまっていると見ていい。
 最後は草野マサムネの過緊張である。
 生放送で、しかも国民的番組とされる紅白。ただでさえ緊張しいの草野が、歌いだしのタイミングを間違えて「ふーねに」なんてやらかしたりしなければいいのだが……
 まあ、笑えない妄想はこれくらいにして、実際にはどこかからの中継か事前収録になるのかもしれない。
 中継はともかく(あまりいい印象はしないが)、事前収録だけはやめてもらいたいと思う。それをやるくらいならきっぱり出ない方がいい。

 別の出演者のことを予想すると、今年は杜このみが出るんじゃないかと私は読んでいる。もしかしたら先述の予想記事にも名前が挙がっているのかもしれない。
 彼女は歌唱力も見た目も優れていて、『うたコン』をはじめとしたNHKの歌番組への出演もかなり多く、演歌の若手ではもっとも売れている歌手である。
 そのうえ、この時期を狙ったかのような関取との結婚発表。話題性もじゅうぶんだ。
 そういえば、彼女の結婚を私は「大相撲の高安が結婚」という記事の中で知った。見出しには名前すら出ていなかったのである。
 しかしスポーツにあまり関心のない私から見たら「高安?ああ、そんな人いたなあ」といった感じで、どちらかというと「杜このみが結婚~相手は大相撲の高安」といった感覚である。
 私のような物好きとは違い、世間では演歌歌手のことなどほとんど知られていないということだろう。
 これはかつて、葉加瀬太郎が結婚したときと同じ現象である。
 世間一般のニュース見出しでは「女優の高田万由子が結婚~相手はバイオリニストの葉加瀬太郎~」だったが、私からすれば「葉加瀬太郎が結婚~相手は女優(?)の高田万由子」という感覚だった。
 私にとって高田万由子という人は、『料理の鉄人』で料理を食べてなんかコメントしていた人、くらいの印象の、職業のよくわからない人であって、そもそも女優という認識もなかった。
 対して葉加瀬太郎はクライズラー&カンパニーのフロントマンとして人気を博し、最終的には武道館でコンサート(解散コンサート)をしたほどの人だった。
 東大出ということ以外、取り立てて話題のない高田と、自らの技術で実績を積み重ねていた葉加瀬とで、どうしてこんな扱いの違いが出るのかと、芸能界の不思議に首をひねった私だったが、それも昔話で、いまや葉加瀬太郎は日本でもっとも有名なバイオリニストになった。

 最後は紅白のこととはまるで関係ない話になってしまったが、今回はここで突然終了である。
 (文中敬称略)




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# by faint_breath | 2019-11-09 07:56 | 芸能
 高速バスのバス停の位置を確認しようと、Googleマップで東名高速をたどっていたところ、思わぬものを見つけて、なんだか笑ってしまった。f0376337_08390816.jpg
 噂に聞いていた手数王の「道場」はこんな場所にあったのか。
 ということは、川口千里さんは、三重県の四日市からこんな遠くまで通っていたということか?
 作編曲家の田中公平さんやサックス奏者の本田雅人さんも、自宅からはるか遠くに住む人に師事していたという話だし、特にクラシックの人にとってはそんなことは当たり前の世界だ。
 優秀な音楽家となるためには、裕福な家庭に生まれ育つことが有力な条件のひとつだということがわかる。
 もちろん最有力の条件は、本人の生まれながらの音楽的才能なんだが。*1
 実家が医院経営の田中さんはともかく、川口さんの実家が特別に裕福だという話は聞いたことがないが、少なくとも生活に困窮しているようでは、娘に楽器を習わせることはできなかっただろうから、経済的には平均以上の家庭であったことは想像できる。
 それか、娘のやりたいことを続けさせるためには、生活レベルを落とすなど多少の無理をしてでも支え続ける気概があったか、だ。
 実際のところ、『ピアノの森』の海くんみたいなことは、現実世界ではほとんど起こり得ないだろう。
 ていうか、あんな野ざらしのピアノだと調律もメチャクチャだっただろうから、音感への悪影響が蓄積しまくって矯正不可能、世界レベルになるなどとても無理なのでは?と想像する。フィクションに無粋なこと言っても仕方ないんだけどな。

 川口千里さんの名前が出たので、ついでに関連の話をすると、彼女が大学へ進学する前後の時期に、自称「ファン」のおっさんフュージョンマニアたちが、音大に入ってもっと音楽を学べだとか、普通の大学に入ってチャラチャラした大学生活を送るのはけしからんだとか、余計なおせっかいをまき散らしていたのが、非常に気持ち悪かった。
 あの人たちは父親(しかも超時代遅れ)にでもなったつもりだったのだろうか。本当に気持ち悪かった。


 *1:こういうことをいうと、「努力がいちばん大事だ!」などという反論が予想されるが、それは論点がズレている。そもそも才能のない者がどんなに膨大な努力を積み重ねても、才能を持つ者が努力した結果の上を行くことは不可能である。天才の天才たるゆえんは、凡人が努力してやっと到達できるレベルを、それほど努力しなくても簡単に突破し、さらにそのはるか先の高みへ行くための努力に耐えられる資質を標準装備しているところにある。




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# by faint_breath | 2019-11-03 09:27 |
 スピッツの新しいアルバム『見っけ』の演奏者クレジットを見ていたら、ザ・なつやすみバンド(以下「TNB」)のサポートでおなじみの池田若菜さんの名前があった。
 曲調が途中で大幅に変わる「まがった僕のしっぽ」のフルートが彼女によるものだった。
 そして、さきほどTNBのツイッターをさかのぼっていたら、池田さんのツイートがリツイートされているのを発見した。
 スピッツのレコーディングに呼んでもらったことに「嬉しさで声が出ませんでした」とのこと。
 そうだろうなあ。本邦屈指の人気バンドから直々にお呼びがかかるなんて、大変なことだ。
 こういうフリーランスで活動している音楽家にとって、実績を残して人とのつながりを広げていくというのが、なにより大切なことなんだろうと想像する。
 そういえば、スピッツのサポート鍵盤奏者としておなじみのクジヒロコさんも、いまがあるのはほとんど人の縁のおかげ、というようなことを著書で書いていたな(もちろん確かな腕前があるというのが前提なんだろうけれど)。

 そんなこんなで、ここからは妄想なんだけども。
 スピッツが毎年夏に開催している主催イベントにはミツメとceroが出演したことがある。
 ミツメといえば、TNBとコラボしたことがあるし、ceroにはサポートとしてTNBのMC.sirafuが関わっている。
 池田さんもTNBとは長い付き合いで、今回スピッツのレコーディングにも参加した。
 そういったつながりから、来年あたり、TNBも出演して注目度アップ!なんてことにならないかな、なんて。
 こんな妄想してしまうのも、『ファンタジア』が出てツアーが終わったくらいから、なんだかTNBの勢いが減速してしまったような雰囲気があって。
 去年出した『映像』も、ちょっと落ち着いてしまった(年取った)ような印象で、なんだか寂しかった。『ファンタジア』がキラキラしてたから余計にそう感じてしまうのだろうけど。
 とはいえ、もしそのようなイベントに呼ばれたとして、あの全員が天然ボケのようなTNBが数万の観衆の前でどんなMCするのか、そして観客がどんな反応するのか、想像するとちょっとこわい。

 まあとりあえず、スピッツのツアーと、今年も我が地元に来てくれるTNBと、ふたつの現実のライブを楽しみに待とう。






# by faint_breath | 2019-10-24 23:59 |
 突然の話なのだが、明日(2019年10月22日)が急に会社休業日になった。
 その事実は、今日の週初めの朝礼で、社長から発表された。
 実は先週の金曜日、つまり先週の業務最終日の朝に、来週の火曜日は祝日になったそうだが、我が社は前からの予定(前年度に決定した会社カレンダー)どおり、営業日となっているので間違えないように、ということが、各課課長によって通達されていたそうだ(私は出張で不在だったため未確認だった)。
 それが、たったの3日、さらにいえば土日休みを挟んでいるので実質1日で覆ってしまったということに、なにやら不穏な空気を感じさせるものがある。
 我が社は典型的な中小企業だが、その監督官庁から、脅しまがいの「休め命令」でも通達されたのだろうか?
 いまどきそんなことがあるとは思いたくないが、世の中の動向は、確実に70数年前の方向に退行しているので、あながち考えすぎともいえないのである。

 その休日となることの発表のとき、社長は
 「明日は……なんだっけ?えーと、大喪の礼だとかで、休業日になりました」
 と発言した。
 もしこれが事実だとしたら、天皇の就任の宣言と同時に、同じ天皇の葬式がおこなわれるという、大変目まぐるしい日になるということだ。
 すげえよ社長!あんたマジでレジスタンスにもほどがある!
 もし仮に、現在の日本が70数年前のトチ狂った時代と同じだったら、全国津々浦々にまで張り巡らされた隣組制度に代表される相互監視システムによって、社員の中にもいたであろうチクリ魔から社長の「失言」が官憲に通報され、しょっぴかれた社長は問答無用で懲役刑になっていたであろう。
 当時の刑法では、公の場での天皇に対する不敬発言は、故意過失を問わず、発言の事実があっただけで3か月以上5年以下の懲役刑だ。
 ちなみに、天皇に物理的危害を加えようとした場合、それがたとえ未遂に終わっても*1、例外なく死刑だったのだそうな。とんでもない世の中だ。
 まあ、「大喪の礼」というのは単なる言い間違いであって、翌日におこなわれる行事の名前を覚えていなかっただけだろう。
 社長がレジスタンスだったなんてことは一切なく、社長にとっては、天皇が就任を宣言しようがなにしようが、本当はどうでもよくて、関心などもっていなかったことが露呈してしまっただけのことだ。
 かく言う私も、あしたおこなわれる行事の名前など、聞いたことはあっても、あまりにもどうでもいいことなので覚えちゃいないし、知っていても自分には何の意味も得も影響もないので、調べる気にもならないから、こうしてこの文章を綴っている最中の今もってわからないのである。本当に心の底からどうでもいい。
 ただし、仕事に行かなくてもいいというのは、素直にラッキーなことになったと思う。
 天皇がどうたらこうたらなどということとはまったく無関係に、働かなくていいというのはうれしい。

 ところで、明日のなんちゃらとかいう行事に合わせて、恩赦がおこなわれるのだという。
 しかし、天皇が自らの意思で司法の下した判断に口出しできるはずもなく*2、実際には天皇の名を法務大臣が使って、法務大臣の命令によって恩赦がおこなわれるものと思われる。
 これは明白に天皇の政治利用であるため憲法違反であり、即刻取りやめしなければならないことだ。
 そもそも天皇が就任することと、囚人が赦免され服役を解かれることの間に、因果関係が一切存在しないことが問題である。
 そういった理屈を超越する神なる存在の天皇が就任を宣言するのだから……ということであれば、それこそ現在の憲法に対する最悪の違反行為であり、やはり即刻とりやめなければならない。

 あしたは雨だそうだけど、テレビは一日中クソつまんないだろうし、ボウリング場あたりが賑わうんじゃないだろうか。
 さて、どこ行こうかな。

 ※追記
 今回の恩赦は、禁固刑の人は対象外になったのだそうな。ふーん、知らなかった。
 なんでも、世間からの批判を受けて、政府が適用される範囲を縮小したのだとか。
 現政府が極右による右からの批判以外の批判を受け入れるなんてめずらしいことではあるが、どっちにしても憲法違反には違いない。
 やはり完全撤回が妥当だ。


 *1:この場合、1000キロ離れた場所から天皇めがけてロケット花火を放とうとした場合でも、それが天皇に対し危害を加えるためという理由であったなら、実際にロケット花火が天皇に届くかどうかは問われることなく死刑となる理屈である。

 *2:天皇は憲法上、ただの「しるし」に過ぎないのであって、その自由意志で公的な言動をおこなってはならない。よって、前天皇の退位希望発言も憲法違反であったことは明白である。したがって本来は、身体的に大変だろうがなんだろうが、ひとことの文句も口にせず死ぬまで天皇役をやり続けなければならないのが、現行の法律下で天皇となった者の宿命である。まことにひどい話で、私もこんな異常な人権侵害は絶対になくさなければならないと思っているが、そのためには人権尊重や国民主権の真逆をいく天皇や皇室という制度そのものを根絶する必要がある。






# by faint_breath | 2019-10-21 22:17
 どぶろっくがキングオブコントという大会(?)で優勝したのだそうだ。
 私は世の中の平均的な人と比べるとテレビを見ることが非常に少ないので、このようなニュースを知るのはネットニュースの見出しでということが多い。
 特に、今回の舞台となったお笑い芸人がネタで優劣を競い合うような番組は、審査員の講評なども含めたいろいろな部分が「お笑い番組」として何かが間違っているような気がして、まったく見る気がしない。
 そういうわけで、今回もネットニュースで彼らの優勝を知ったのである。

 私は以前のブログで、どぶろっくの批評を書いている。
 基本的に私はどぶろっくを高く評価していて、特に、まだブレイク前に深夜番組で下ネタソングを披露していた頃の、せっかくの流麗なメロディーと美しいコーラスワークに、針の振り切れた最低極まりない歌詞を惜しげもなくつけてしまう芸風は、絶賛に値すると思っている。
 要するに、単なる下ネタの面白さではなくて、著しいギャップの面白さを評価していたという部分が大きい。
 そうした評価基準からすると、「もしかしてだけど」以降の全時間帯対応型ネタは、いまいち突き抜けた面白さに欠けていると思っていたのだ。
 そんな彼らが賞レース(?)で優勝したというので、そんなに面白かったのか?と思い、YouTubeで検索してみたところ、さっそく誰かが番組をアップロードしていたので見てみた。
 直球の下ネタだった。
 よくもまあゴールデンタイムでやってくれたものだ。
 ただ、やはり以前の「放課後の純情」のような救いようのない最低極まりないものではなく、内容的には幼少期の男児が下ネタ単語を連発するような類のものに近い。
 しかしながら、説教臭い寓話をベースにした物語を、大仰なミュージカル風に歌いながら下ネタで落として笑わせる構成となっていて、これはかつてのギャップによる笑いの復活といえないことはない。
 面白いか面白くないかといわれたら、面白いとは思うけれど、何度も通用するものじゃないな、とも思った。たぶん次にまた見てもそんなに面白いと感じないだろう。
 それはたぶん、ギャップを励起するための下ネタが“最低”ではないからだろうと私は感じている。

 彼らが大会(?)で披露した下ネタについて、動画のコメントで大真面目に批判している人がいる。
 逆に、下ネタだろうがなんだろうが、いちばん笑わせていたのだからいいじゃないか、という人もいる。
 どちらの意見にも共通しているのは、どぶろっくが下ネタそのもので笑わせているという前提での批評となっているところだろう。
 つまりは、下ネタを「発する」ことそのものが彼らの笑いの真髄であるという視点である。
 こういうところを見ると、やはり私は世間からズレているのだろうか?と考えてしまうのだ。

 繰り返すけれども、私は彼らの面白さの真髄は「ギャップ」にあると見ている。
 そのままJ-POPのヒット曲として提出しても通用しそうな流麗なメロディーを、江口と森が時に美しくハモリ、時に切なげな表情で大真面目に熱唱する。
 しかし、大真面目に熱唱しているその歌は、最低にも程がある超ド下ネタなのだ。
 ベースとなる楽曲や歌唱のレベルが高いほど、そして歌詞に織り込まれた下ネタが最低であればあるほど、ギャップの効果は最大限になる。
 下ネタではないけれども、豪勢な鼓笛隊と男女混成コーラス隊による勇壮で大仰なアレンジと、実にしょーもない内容の歌詞との取り合わせにより、かつて関西でヒットした「アホの坂田」と同じ構図がここにある。
 ちなみに「アホの坂田」のレコーディングでは、あまりにバカバカしい歌詞と大仰なアレンジに、コーラス隊の人たちがうっかり笑ってしまって止まらなくなり、レコーディングが中断してしまうハプニングが起きたそうだ。そりゃそうだろう。

 いくら私がどぶろっくの面白さの真髄はギャップにあると言ったところで、実際に世間の大多数の人たちが「下ネタが面白い」と思っているのなら、そういうことになるのだろう。*1
 炭焼きレストランさわやかの件でもそうだったのだけれど、やはり私は異端なのか、それともものごとの細かいところまで見すぎているのか。


 *1:最低な下ネタがなければギャップが面白くならないのは確かなので、ある意味「下ネタが面白い」のは事実という側面もあるのだが……






# by faint_breath | 2019-09-22 23:16
 私がテレビを見るのは、ほぼ朝のニュース番組(テレビ朝日)だけなのだけれど、最近、つまらないニュースが多いなあと思う。
 元総理のボンボンが結婚とか、あおり運転とか、海外の犯罪とか、タマネギ男とか、改造内閣発足とか、いろいろ。
 改造内閣発足については、まあ報道しないわけにはいかないだろうから、報道されること自体にとやかく言うつもりはないのだけれど、改造された内閣の中身が相当ひどいことになっているのに(もちろん改造前もひどいのだが)、コメンテーターたちのツッコミが大甘すぎて、権力へのチェック機構として何の役目も果たしていないというのが痛すぎる。
 よその国のタマネギ男には、よその国のことなのにツッコミすぎるほどツッコんでるのに、菅原みたいな入っている時点でアウトの人をほぼスルーとか、この国の報道はどうなってんだ?

 で、最近流行りのあおり運転の件。
 茨城の事件をきっかけに捕まった大阪の男女について、ドライブレコーダーに録画されていた一部始終から関係者の証言による日頃の言動まで含めて、どうがんばってフォローしようとしてもフォローのしようがないクズだったことはわかる。
 でも、それを受けて、あおり運転の厳罰化に向けて動き出したというのは、どうなんだろう?と思う。
 まあ、べつにやってもいいとは思うけれど、やってもおそらく抑止効果ないよ?
 だって、厳罰化されたからといって、それで言動を慎むような分別のある人は、そもそもあおり運転なんてしない人だろうし。
 それに、茨城の事件がこれだけバンバン報道されても、立て続けに別のあおり運転が起きているってことは、あおり運転をするような人たちの多くはニュース系番組を見たり新聞を読んだりしない人たちってことなんだと思う。たぶんネットニュースも見ないんだろう。
 だから厳罰化されたからといって、それがあおり運転をするような人に周知される可能性は少ない。
 それか、ニュースを見ても自分がふだんやっていることと同一視できない人たちってこと。
 つまり、こいつのあおり運転は悪いあおり運転だが、俺のは正当な意思表示だ、とでも思っているのかも。なんだか安倍の憲法違反言動への開き直りみたいだが。
 さらにいえば、自分に都合の悪そうな内容の報道は見ないし読まない。だからそもそもそういう報道は世の中に存在しないという設定になっている。ますます安倍政権みたいだ。
 教習所で「あおり運転は厳罰に処される」と教えて、将来の犯罪の抑止効果を狙う側面もあるのかもしれないけれど、そもそも教習所では今も昔も安全運転を教えてきているはずで、それでもあおり運転は起きているわけだから、こちらは効果ほぼゼロだろう。
 やっても抑止効果が期待できないことをやると、結果はどうなるか?

 あおり運転は今後も変わらず起きる。
 ヤフコメで煮えたぎっているような人たちが悪罵のコメントを垂れ流す。
 で、逮捕された人は厳罰に処される。
 ヤフコメで煮えたぎっているような人たちが喝采を送り留飲を下げる。
 でもやっぱりあおり運転は起きる。
 するとヤフコメで(以下略)

 このような無限ループが発生する横で、どういうことが起きるのか?
 “わかりやすい悪”を超巨悪としてさらにわかりやすい位置に再配置すると、わかりにくいけれど世の中全体に影響を及ぼす根本的な害悪(安倍政権とか安倍政権とか安倍政権とか)が、たいしたことないかのようにぼやかされてしまうのですね。
 というわけで、報道は感情的にならずに冷静に事実を伝えてほしいと思う。

 それであらてめて気付いたのだけれど、どれだけくりかえし報道しようが高齢者が振り込め詐欺などの特殊詐欺にひっかかってしまうのも、結局は被害者がニュースや新聞を見ない、もしくは見ても理解できない人たちだからなのでは?と思った。
 こちらは独居老人の増加とか加齢による思考能力の低下なんかも絡んでくるので、対策はむずかしいところがありそう。 
 とりあえず被害に遭って生活が困難になってしまったような人には、場合によってなんらかの救済措置があってもいいかも。
 元アパレル通販会社の社長が手持ちの株売って2400億円以上手に入れたらしいから、税金を20%として引いた残りから1900億円くらいをそういった被害者の救済基金として寄付したらどうだろう?
 20億もあれば余裕で一生(十生くらい?)遊んで暮らせるだろうし。
 てか、私にください。




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# by faint_breath | 2019-09-14 00:53 | 残日録
 私のかつての趣味のひとつに一発屋ウォッチングというものがあった。
 かつて一世を風靡したものの、その後すっかり忘れ去られた「元」人気者の追跡である。
 追跡といっても大したことをしていたわけではない。
 たまに読んでいたスポーツ新聞の芸能欄の片隅にまで目を配り、たいていの人は読み飛ばすであろう「岸田智史が岸田敏志に改名」などの“いとをかし”な記事を見逃さずに熟読したり、一発屋が出現しやすい番組~それはギャラが安そうなテレビ東京の旅番組や通販番組なのだが、地方では誰も見そうもない日曜の午後などの時間帯に放送される~をビデオに録画してチェックする、といった地道な作業のくりかえしである。
 テレビ東京の旅番組や通販番組でよく見かけた一発屋の代表格といえば太川陽介である。
 私など、彼はテレビ東京のスタジオに住み込んでいるのではないかと疑ったくらいだ。
 かつてアイドルとしてお茶の間を沸かせていた頃の太川は、自分が将来、お茶の間を沸かすのではなく、お茶のための湯を沸かす装置の機能と低価格に驚く役をやらされることになるとは夢にも思っていなかったにちがいない。
 しかし、いまや太川陽介は、テレビ東京の旅番組に出まくった経験と実績を最大限に発揮し、路線バス乗り継ぎ旅で脚光を浴びて、ふたたびスターダムへと返り咲いた。
 15年ほど前、太川が焼津駅前の足湯に舞の海秀平と一緒に足を突っ込んでいるロケ現場をたまたま目撃したとき、彼からは芸能人オーラのかけらも感じられず、周りのギャラリーから聴こえてくる声も「ほら、舞の海だよ」とか「いま舞の海がいるよ」というものばかりで、誰からも太川の“た”の字も出てこなかった。
 ところが、いまの太川陽介からは、芸能界きっての旅の達人(ただし国内限定)としての風格が漂い、その自信からか、オーラのようなものを感じるような気さえする。
 もはや彼は一発屋ではなくなった。芸能人としては後輩である舞の海の後塵を拝した苦境を知っている私のような者にとっては、実に感慨深いものがある。
 しかし、路線バス乗り継ぎ旅で初めて彼のことを知った若い世代にとっては、“路線バス旅の人”という一発屋に見えてしまうのかもしれない。
 それもまた“いとをかし”な一発屋趣味の奥深い一面ではある。

 閑話休題。
 テレビや新聞記事のほかに、インターネット普及初期には、“あの人は今!?”的な情報交換サイトで、同好の士たちと一発屋情報のやりとりをして、互いに知識と見聞を深め合ったりもした。
 しかし、テレビがバラエティー番組ばかりになってくると、その過程で一発屋が“商品”としての価値を見出されるようになり、テレビの向こうから勝手に一発屋の現在の状況を報せてくれるようになった。
 一発屋といえば、かつては落ちぶれたというイメージを嫌って、元スターの多くは“あの人は今!?”的な番組には出たがらなかったものだが、世間の一発屋に対する目も、どこか小馬鹿にした感じから、純粋なノスタルジーの方向に変わってきたことと、一発屋たちも歳を重ねて性格が丸くなったこともあるのか、積極的に出演する人も増えた。正直なところ、何度も出てきすぎてうっとおしい人もいるくらいだ。立川俊之とか。
 こうなってくると、消息不明だった一発屋を「探す」必要もなくなってきて、一発屋ウォッチングが趣味として成り立たなくなってきた。
 いまでは存在そのものが当たり前のGoogleの出現も、趣味としての一発屋ウォッチングを終焉に導いたといえよう。
 なにしろ、かつては地方在住の身では到底手に入れることのできなかったいくつもの情報が、一発屋の名前を入力するだけで、一瞬で手に入るようになってしまったのである。
 『世界忍者戦ジライヤ』の主人公、山路闘破役の人が現在も役者を続けているだなんて、インターネット普及以前だったら絶対に知ることができなかったはずだ。

 先日、新聞の折り込み広告にこんなものが入っていた。
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 一発屋が“商品”になる時代と、一発屋情報が勝手に向こうからやってくる時代の象徴的な物件である。
 かつては知りたくても知ることのできなかった一発屋の消息が簡単に手に入るどころか、知りたくもない情報まで勝手に入ってくるのだ。
 それにしても、なんというツッコミどころ満載のチラシだろうか。
 面白いので、いちいちツッコんでみたい。

 ・2020年最新バージョンのコンサート ←いままでのバージョンがわからないので、そもそも最新バージョンの意味が不明。しかもこの顔ぶれで「最新」?
 ・テレビでおなじみの豪華な顔ぶれ!! ←かつてのごく一時期は“おなじみ”だったかもしれないが、いまでは全然“おなじみ”じゃないのでは?
 ・大ヒット曲で真剣勝負!! ←「大ヒット」の前に「唯一の」という言葉をつけた方がいいのでは?
 ・(開催日)2020年1月8日(中略)中ホール ←我が家への投函は8月下旬。“豪華”メンバーなのに、今から4か月間も売り続けなければ、中ホールすら埋められない需要予測なのか?

 各出演者の写真に名前とともに添えられた最大にして唯一のヒット曲名が、かえって一発屋であることを強調して哀感を漂わせている(中には一発屋ではない人もわずかにいるのだが)。
 あと、二度ほど出てくる“豪華”の解釈なんだが……
 たしかに歌手やら芸能人やらが20組も大挙して出演というのは、一見豪華なように思えてしまうのだけれど、ここはよく考えてみた方がいい。
 チラシに書かれている「こんな豪華なメンバーを1度に観られるなんてなかなかありません!!」「テレビでおなじみの豪華な顔ぶれ!!」という言い回しの場合、「豪華」が個々の出演者にかかっていることになるのだろうが、本当に個々で“豪華”なら、単独で大きな会場を埋められる需要があるのではないか?
 これをたとえるなら、普段はなかなか食べることのできない、一品でも高い満足感を与えてくれる素晴らしい料理だ。
 で、そういう普段でも大きな会場をソールドアウトにし、なかなかチケットが手に入らないような人たちが何組も一堂に会するからこそ、ロックジャパンやフジロックなどのイベントは“豪華”で、呼ばれることが出演者にとっても栄誉になるわけで。
 翻って、このチラシで挙げられている出演者はどうか?
 注目したいのは、20組で中ホールというところ。ということは、単独で大ホールやアリーナなど絶対に不可能だろう。
 20組で束になって、やっと中ホールで勝負になるかどうか?というレベルであることがうかがえる。
 ということは、チラシ曰くの個々が“豪華”であるという記載は、実態とは違うように思うのだ。
 これを料理にたとえたら、まあ目玉焼きやチキンラーメンやボンカレーやマルシンハンバーグといったところだろうか。これらをまとめて提供されたところで、テーブルは賑やかかもしれないけれど、本当の意味で“豪華なディナー”とはいえないだろう。

 今回の記事の目的は、このチラシで遊ぶことだったので、もう目的は達成した。
 というわけで最後に、一発屋の哀しい現実を如実に示す事例をひとつ。
 かつて一発屋情報を収集していたときの一例として「岸田智史が岸田敏志に改名」という記事のことを挙げたのだが、この例を書くために「きしださとし」と打ち込んで変換しようとしたところ、かつての芸名である「岸田智史」の方は変換候補に入っていたのに、現在の芸名である「岸田敏志」の方は入っていなかったのであった。嗚呼……


 ※追記※
 人によって、ものごとに対する価値観は違うので、ノラ・ジョーンズや坂本龍一やスティービーワンダーあたりが一堂に会さなければ“豪華”と感じない人もいるだろう。
 したがって、当記事での“豪華”という言葉の意味と解釈は、あくまでも現在進行形で世間一般の平均的な大勢の人々から人気を集めている音楽家に対する評価と考えられる表現として用いている。
 わかりやすい例では、数十組もの音楽家が出演する『ミュージックステーション』のスペシャル版で「豪華アーティストが集結!」と宣伝している、あの用法である。
 私のように、最近の人気音楽家といえば星野源くらいしかわからない者にとっては、どこが豪華なのかさっぱりわからないものの、あくまでも世間一般での評価ではそういうことになっている、ということを表す用法である。
 実際のところ、かつて一発屋が日陰の存在で情報収集にも苦労し、私が一発屋ウォッチングをしていた当時に、紹介したチラシのようなメンバーが集結したら、それはまさに“一発屋ウォッチャー的に豪華”であったことは間違いない。いまは安売りが過ぎて、かえって価値が目減りしてしまったということだ。




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# by faint_breath | 2019-09-10 01:21 | 残日録
 私は流行に疎く、流行に鈍感だ。
 というより、何かの流行を感知しても、私に必要や関係がなければ無視して流行りに乗らない。
 その結果の状態だけを第三者から見ると、流行に疎かったり鈍感だったりに見える、というわけだ。
 もっともわかりやすい例が、携帯電話だった。
 世間の人々がどんどんスマートフォンへと持ち替えていく中、私はずっといわゆるガラケーで通していた。
 話に聞くスマートフォンの機能や能力と、現に持っていたガラケーの機能や能力を比較したところ、私が使うぶんにはスマートフォンに変える必要が皆無であり、利用料金が上がるばかりでメリットがないからであった。
 それでも3年前に私がスマートフォンに乗り換えたのは、ガラケーを高所から落下させてしまったときに、ヒンジ部分が逆方向に曲がって折れてしまったのが原因である。
 後継機もガラケーで、と思っていたところ、すでにガラケーの需要は非常に少なく、希望の機種は全国で一定量の発注がかからないかぎり生産すらしない、事実上の受注生産となっていて、いつ手に入るかわからない状況だった。
 結局、仕事でも携帯電話を使うので、希望機種が手に入るまでインターバルが空きすぎるのは困るということで、仕方なくスマートフォンにしたのであった。
 この場合、社会全体が事実上スマートフォン一択の状況に向かっていったこともあるので、純粋な流行の事例とは違うとは思うのだけれど(鉄道網の拡大と馬方業の衰退の関係に似ている)、まだスマートフォンが黎明期で、二者択一の状況下でも拙速にスマートフォンに手を出さなかったというところでは、やはり流行よりも実質を見極める姿勢を貫いていたと自負している。

 そんな私だが、いま、タピオカ飲料の流行によって、ある意味では我が世の春を謳歌しているのである。
 私はタピオカミルクティーが大好物だ。
 この飲み物との出会いは、ライブ鑑賞などで上京したときに、定宿にしていた上野のホテルの近く、アメ横の中国台湾系の露店で朝食をとるときに飲んだのが最初である。おそらく6~7年ほど前ではなかったか。
 もちろん、現在のような流行など予想もしていなかったのだが、聞いた話では、すでに流行の兆しは10年ほど前には出始めていたらしい。
 すぐに気に入った私は、しかし地元では提供する店など一軒もなかったので、上京したときに上野まで出向いて飲むしかなかった(他に提供している店を知らなかった)。
 それが去年から今年にかけて、すさまじい勢いで大流行となり、しょぼい田舎町のわが地元にも、知っているだけで専門店が4軒も新規開店し(商業施設内のテナントを含む)、たい焼き屋やドーナツチェーン店、既存のカフェのドリンクメニューなどまで含めると、かなりの店で飲むことができるようになった。
 もちろん、店によって味は違うし、希望の味に調整してくれる店もある。そういった要素から、行く店を日によって選べるまでにもなったのだ。一軒もなかった一昨年までとは雲泥の差の環境である。
 タピオカミルクティーに関しては、私が流行の波に乗ったというよりも、私が掴まって浮かんでいたサーフボードに、流行の波が勝手に押し寄せてきたという感がある。

 このように、タピオカミルクティーファンにとって現状はかなり恵まれた環境であり、ある意味、我が世の春とはいうものの、少々、いや、かなりの不安があるのも事実だ。
 だれもが周知のとおり、流行というものは飽きられる日がほぼ必ず来る。
 しかも、いったん「流行りもの」となったものは、消費されて流行りの時期を過ぎると、その実質は一顧だにされず、時代遅れの烙印を捺されて世間から退場を余儀なくされることが多い。

 記憶に残っているのは、十数年前の「マツケンサンバ」シリーズの大流行と衰退だ。
 「マツケンサンバ」シリーズは、もともと松平健のファンで舞台公演を観に行くようなオバさんたちや、テレビ時代劇の『暴れん坊将軍』のファンの間では親しまれていた存在だったのだが、世間一般にはほとんど知られておらず、マツケンファンのオバさんたちは本気で、そして一部の好事家は「なんでマツケンがサンバなんだよw」と、その意味不明な取り合わせにニヤニヤしながら、いずれも世間の片隅で密かに楽しんでいたにすぎなかった。
 ところが、離婚を機にマツケンのタガが外れたのか(?)、「マツケンサンバ2」を大々的に売り出したところ、誰もが知る大物俳優がキンキラキンの衣装を着て何故かサンバを大真面目にヘンな踊りで歌うというギャップが人々の心をつかんだのか、日本中を巻き込む一大ブームとなってしまったのであった。
 その結果、振り付け指導のDVDまでヒットし、マツケンは夏の野外フェスにまで出演、DVDで勉強してきた満場の観客とともに踊り歌い、年末には舞台いっぱいの大人数のダンサーを引き連れて『NHK紅白歌合戦』にも出演した。
 だが、そこまでだった。
 年が明けると、ここまでの盛り上がりが嘘のようにブームは去り、「マツケンサンバ」シリーズをめぐる環境はまた元の状況に戻った。
 いや、元よりも世間の片隅に追いやられたような状況になった。
 ブームの怖いのはこういうところで、消費し尽くされると、その実質にはいささかの変化もないというのに、触れるのも恥ずかしい時代遅れの遺物とされてしまうのだ。
 「マツケンサンバ」シリーズ自体は、いまもマツケンの舞台で、昔となんら変わりなく披露されつづけている。
 しかし、かつてブームに熱狂した人たちのほとんどは、いまや当時を思い出しもしないだろうし、マツケンといえば松山ケンイチのことだとしか思わなくなっているかもしれない。
 「マツケンサンバ」の中身は何も変わっていないのに、世間での扱いだけが天地ほどの違いとなってしまったのだ。

 同じことが、タピオカミルクティーで起きない保証はどこにもない。
 タピオカミルクティーはおいしい(私にとっては)。それは将来も変わらないはずだ。でも、世間での扱われかたは激変するだろう。
 ナタデココやティラミスのように、ある意味での定番商品となって、洋菓子店やスーパーの生菓子コーナーの片隅を終の棲家とする例もあるので、タピオカミルクティーも同じような運命をたどる可能性はある。
 ただ、さすがに専門店のほとんどは生き残れないのではないか?と思うのである。
 すくなくとも、私の地元のような地方の田舎町では、需要と供給のミスマッチによって、壊滅するだろう。
 そうなったときに、スーパーで売っているカップ飲料として生き残ったタピオカミルクティーが、我々のような流行とは関係なく好きなファンにとって光明になるかといったら、そうでもない。
 カップ飲料に入っているタピオカは、おしなべて食感が悪いのである。どれもこれもまったくモチモチ感がないものばかりだ。こんなものでは代用にはならない。
 ブームが過ぎ去ったとき、また私は年に数回、タピオカミルクティーを飲むために上野に足を運ぶことになるのだろうか?
 あ。もしかしてお店がタピオカミルクティーを扱わなくなったりして。。。




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# by faint_breath | 2019-09-08 00:28 | 残日録
 自民党の石破茂氏が、今般の日韓対立について、日本が戦争責任と向き合わなかったことが根底の問題と語ったそうな。


 外野としてずっと客観的に見ている私などから言わせれば、あまりにも当たり前すぎることなので、いまさら感100%といったところなのだけれど、もはや完全に極右集団になり果てたと思っていた現在の自民党の議員からこういう発言が出てきたということには驚いた。
 石破氏については、天皇制に対する考え方や、個人的なミリヲタ趣味を政治に持ち込む姿勢など、到底容認できない部分が多々あるのだけれど、今回の発言については、事実は事実として冷静に受け止める度量も持っているのだと、彼をほんのちょっとだけ見直した。
 ところが、上記リンク先ニュースのコメント欄は、さすがはヤフコメというべき、頭の煮えたぎったネット右翼による石破氏バッシングで溢れかえっている。
 ネット右翼には、本当に単純な事実の指摘をしただけの人に対しても、それが自分の気に入らない内容であれば、集中砲火を浴びせて叩き潰そうとする習性があるらしい。
 そんなことしたって、世界中に知れ渡っている厳然たる事実は永遠に消えることはないというのに。

 繰り返すが、私は日韓関係について(というか、世の中のあらゆることについても同じだが)常に外野から冷静に客観視している。
 だって、今回の件については、なにもかも私の意思など及ばないところで起きていることなのだし、事実は事実としてただそこにあるだけなのだから、それらについて個人的な感情を差し挟んでどちらかの国や国民を「敵」に設定して罵倒合戦を繰り広げたところで、なんにもならないではないか。
 だから私は、ただ単純に事実を見て、その事実について自分はどう思うかを、このブログに綴ったり、あるいはただ頭の中で反芻したりする。
 たとえば、このブログの内容が安倍政権に対する批判の割合が多いのも、安倍政権がやっていることを客観的に観察したうえで、それがほぼ悪いことばかりという厳然たる事実があるから、その感想を綴った結果に過ぎない。
 だから、もし安倍政権がとてもいいこと(たとえば消費税増税の撤回や、辺野古への基地移設を撤回して米国領へ移転させるとか)をしてくれたなら、私はその事実に対して賞賛の感想を綴るだろう。
 ところがネット右翼は、事実などどうでもいいらしい。とにかく韓国が憎くて憎くて仕方がない。とにかく韓国を罵倒したい。
 そういった感情が、まず土台というかスタート地点にあって、ゴール地点にも韓国が悪者であるという結論がセットされているから、あらかじめ用意された結論になるように事実を感情に沿ってねじ曲げる。
 要するに「俺がそう思いたいからそう思う。だから“事実”はこうなる(こうだった)」という、主客転倒が常に起きている。

 不思議なのは、なぜネット右翼たちがここまで韓国を憎むようになったのか?ということだ。
 どこかで見た話によると、サッカーの日韓共催ワールドカップが理由のひとつであるらしい。
 そもそも日本単独開催だったところに、あとから韓国が割り込んできたことだとか、その大会で決勝トーナメントに進んだ韓国が、対イタリア戦で見せたフェアでない態度(ボールがラインを割っているのにプレイを続行)などが、嫌韓感情に火をつけたのだとか。
 しかし、これらも冷静に見てみれば、そもそも単独開催が原則なのに、韓国の割り込みに毅然とした対応をせずOKを出してしまったFIFAが最大の“悪者”のはずなのだし、ボールがラインを割っても続行なんていうのは、よく見ていなかった(あるいはわかっていて見逃した)線審が悪いはずで、しかもそんなことはサッカーではままある話で、そもそも日本も予選リーグの対ベルギー戦で同じことをしている。
 このように、嫌韓…というよりもはや憎韓だが、その共催ワールドカップ発祥説だけでも、ちゃんと理屈で考えれば、現状の異常な憎韓になってしまうほどの理由にはならない(あえて憎もうと思わないかぎりは)。
 ほかにも憎韓の理由はあるのだろうけど、いずれにしても、ほとんどすべてが対国家間でのイザコザであって、一個人レベルでここまで憎韓がエスカレートするというのが、本当によくわからない。なぜそこまで国家(政府)と一個人である自分を同一視できるのだろうか?*1
 北欧の人権福祉先進国ならいざ知らず、これほど自国民を舐めきってバカにしきっている政府だというのに。

 前回の投稿で、私は韓国によるGSOMIA破棄について「あたりまえのことなんじゃないの?」と書いた。
 ただこれは、日本政府側がやったこととは対を成しているという点で自然な流れであるという意味で書いたものであって、GSOMIA破棄という結論そのものの是非については「非」であると述べておきたい。
 日本政府のやったホワイト国外しというのは、どこからどう見ても理屈が通らない異常なことなのであり、言ってしまえば正気ではない、気が狂っているのである。
 「非」というのは、そういった日本政府の狂気の沙汰に、わざわざ非常に低いレベルの同じ地底に降り立って付き合ってやることはなかったのではないか?ということだ。
 相手はバカであり、バカなことをしているのである。
 であれば、そのバカなことが、どれほどバカなことであるのかを、全世界に訴えればいいのである。
 日本の極右たちの目は節穴だが、世界中のほとんどの人々の目は節穴ではないだろう。
 世界中のほとんどの正常な人々に訴えかけるか、世界レベルでは極東の片隅にわずかに蠢いているだけのゴミのような連中にやり返して留飲を下げるのか、どちらが得策かは考えるまでもない。
 バカと同じレベルでまともにとりあってしまったら、バカをバカではないと受け取ってしまったか、自らもバカと同じレベルに降り立ったかのどちらかに見られるぞ、そんなことでいいのか?ということなのである。

 とにもかくにも、個人の請求権が消滅していないのは日本政府も認めていることなのだし、十数年前には対中国で同じような裁判が起きて、当事者間で和解が成立している
 自らが認めていることに自らケチをつけて、当事者企業に口封じまでして政府がしゃしゃり出て報復をする(後付けで「報復ではない」という設定にしているが)というのは、実にスケールの大きい矛盾の大発表会であって、全世界に恥を晒しているのだが、それすら自覚できないほどに、日本政府を構成する人々は頭がおかしくなっているらしい。
 そして、このようなねじ曲げようもなく歴史上にくっきりと刻み込まれた厳然たる事実を、1秒も報道しない日本の主要マスコミの方々の頭も。
 やはり昨今の猛暑が(以下略)


 *1:これについては韓国の一部国民側にもいえることなのだけれど、真偽は不明ながら、あちら側は学校で「反日教育」というものがなされているらしいので、それが本当なら「反日」志向になってしまうのも仕方ない面がある。日本にも国民を「教育」によって洗脳した過去があるから、それを反面教師として韓国の「反日教育」を批判するのなら筋は通る。
 なお、真偽は不明というのは、「反日教育」なるものを取り上げて批判しているのは右翼ばかりで信用ならないからだ。いわゆる左翼側論客による解説もあり、比較検討できる環境があればいいのだが。




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# by faint_breath | 2019-08-26 00:20 | 極右観察
 今回は手短に、韓国による軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄について感想を。
 こうなることがあたりまえのことだったんじゃないの?
 だって、日本政府は韓国をホワイト国から外した理由を徴用工問題への報復ではなくて、あくまでも安全保障上の懸念があるからと言い張っているんだから、むしろ韓国をホワイト国から外すと同時に、日本の方からGSOMIAを破棄していなければ辻褄があわないくらいの話だったのでは?
 安全保障上の懸念がある国と軍事的情報を共有するなんて、私には頭がおかしいとしか思えないので、破棄はむしろ日本政府にとって歓迎すべきことなのに、なんで抗議しているのか、さっぱり意味がわからない。
 もしかして、宗主国のアメリカ様のご命令で結ばさせていただいた協定だったからなのかな?
 もしそうなら怒るのも無理ないか。アメリカ様には何があっても絶対に逆らえないんだから。

 安倍政権は「敵」と設定した人に対して、非常に執拗かつ粘着質かつ陰湿かつ卑怯な手段を使って貶めようとするのが大きな特徴だ。
 しかし、全世界の目があるなかで、国対国のやりとりでもあからさまにそういうことをするとはさすがに私も思っていなかったので、韓国をホワイト国から外して兵糧攻めまがいのことを仕掛けたときには「正気か!?」と思ったものだった。
 けれども、これまで安倍政権がしてきたことを振り返ってみれば、こっちこそが「安倍政権の正気」なのだということに気付かされる。
 こういった狂気の正気について、日本では普通の正気であるかのように報道されているわけだけれど(つまり、たいがいの人が狂っている)、他の国では(特に北欧の福祉人権先進国では)どういうふうに報道されているんだろうか?




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# by faint_breath | 2019-08-24 07:13 | 残日録
 毎日暑いっすね。
 こう暑い日が続くと、やっぱり頭をヤラれてしまう人も多くなるのか、ほとんど毎日のようにバカの大安売りが行われている印象。
 先週発表された、滝川さんと小泉元総理のボンボンとの結婚発表なんかは、その最たるものとでもいえようか。
 結婚については、おめでとう、と述べておこう。
 私にとってはふたりとも赤の他人であり、そもそも触れる必要もないどうでもいい話ではあるのだが(いちいちどこかの誰かが結婚することに関心をもっていたら、世界中で毎日発生している膨大な数の知らん人たちの結婚すべてについて思いをはせなければならないことになる)、ピンポイントでこのふたりの結婚という出来事についての感想を求められたなら「はあ、そうですか。それはおめでとう」くらいのことは言ってもいいくらいには思っている。
 ていうか、結婚するふたりについて、その人となりやふたりの結婚にいたるまでのいきさつをよく知っているならば、「やっとここまできて……本当によかったねえ……」とか涙ながらに言えるかもしれないが、滝川さんとボンボンというのは、何度でも繰り返すけれど、私にとって(そして地球上の約70億人の大多数にとっても)まったくの赤の他人の結婚なのであって、お互いの同意でそういう結論に至ったのならば、基本的に結婚というのはめでたい出来事なのだから、おめでとう以外の感想など簡単には持ちようがないだろう。
 問題なのは、その発表が首相官邸でおこなわれたということ。
 この点について、当のボンボン自身が「このような場所で私事で恐縮なのですが」というようなことを言っていたようだが、わかっているなら別の場所でやれよ、と。
 そんなことを言っておきながら、それでも首相官邸でやったということは、心にもないことを言っていたのか、何者かによるなんらかの意図があって、そういうふうにお膳立てされていたかのどちらかで、まあ後者で間違いはないだろう。
 ↓このような記事もある。

 誰がための「官邸結婚発表」だったのか? 世襲政治を決定づける小泉進次郎

 世襲だなんだと、いまさらなような感じで、もはやどうでもよくなってしまっているが、こと結婚発表に限っていえば、首相官邸でおこなわれたことを不自然に感じない人はどこかがおかしいといわざるをえない。
 けれども、そういったどこかがおかしい人の方が大多数という日本の現実には眩暈を禁じ得ない。この眩暈は近頃の異常な暑さのせいでは断じてない。
 ワイドショーで、首相官邸での発表にツッコミを入れていたのは、私が知る限りではラサール石井(「首相官邸でやる必要はないですけどね」)と博多大吉(「首相官邸でやったのは意味がわからなかったですけど」)くらいだっただろうか。このふたりが芸能界で無事でいられることを祈る。

 首相官邸での発表以外に、個人的に非常に気持ち悪く感じているのは、まるで滝川さんがどこかの特別な特権階級の高貴な人と結婚して、彼女自身も高貴な階級になってしまったかのような扱いを周囲がするようになったことだ。それは、皇室に嫁ぐ一般女性に対する特別扱いに近いものを感じさせる。
 ところが冷静になって考えてみるまでもなく、彼女の結婚相手は、貴族でも皇族でもなんでもなく、単なる一政治家、そして一市民なのである。
 私の家のすぐ近所に、かつて参議院議員に当選したことのある人がいるのだが、議員時代のその人は、議員であると同時に単なる一市民でもあった。
 滝川さんの結婚相手も、一議員であり一市民でもあるという意味では私の近所の元議員の人と大差ないはずなのである。
 両者に大きく違うところがあるとすれば、滝川さんの相手は元総理大臣の息子だということくらいだろう。
 しかし、「元総理大臣の息子」という“箔”は、たしかにインパクトがあるかに思えるのだが、父親がすごい人だったからといって(実際には「自民党をぶっ壊す」などといいながら日本をぶっ壊してしまった「すごい悪い人」だったのだが)、その息子が無条件ですごい人であるということにはならないことは、考えるまでもなく明白だろう。大事なのは家柄や血筋などではなく、あくまでも個人の資質のはずだ。
 そういうわけで、滝川さんの結婚相手を個人として冷静に振り返ってみると、政治家として過去にたいした実績があるわけでもなく、単に人気のあった元総理の息子だということで、七光りで人気があるだけの存在である。
 それどころか、安倍政権の横暴極まりない政権運営に対して、なんとなく苦言を呈するかのような態度をチラつかせておきながら、結局最後は賛成(せいぜい採決欠席)に回るという、自民党の下駄の雪である公明党と同じエクスキューズ(自民党内にも多様な意見を発することのできる気風があるんだぞー、という言い訳、もしくはアリバイ作り)の役割くらいしかしてこなかった、政治家としての能力は平凡なザコキャラ同然の議員なのである。
 こうした厳然たる事実がありながら、まるでボンボンが有能で将来有望な議員であり(まあ確かに将来は有望かもしれん。有能ではないが)、もしかしたら滝川さんも将来のファーストレディーに!?などという話にまでなってしまっているのは、いったいどうしたことか。
 ああ、このところの酷暑のせいか。そうに決まっている。ていうか、そうじゃなかったら……

 ついでにもうひとつ、バカ(安倍)の始めたバカ騒ぎについての記事を。


 理屈で突き詰めていけば、どう見ても日本の方が分が悪い。そもそも個人の請求権は消滅してないということを、あろうことか内閣閣僚の河野外相が明言しちゃってるわけで。
 韓国の大統領の態度にも一部問題がある気がするけれど、まあ、たいがい日本側の態度に問題多すぎだろう。
 なんだかレーダー照射問題のときとそっくりな気がする。あのときも科学的根拠もなく騒ぎたてて、どうにも収集つかなくなってうやむやに持ち込んだ感じで。
 要するに、「韓国がなんかやらかした!あいつらが悪い!」と、言ったもん勝ちで最初から相手の印象を悪くすることが目的だったんだろう。
 だけどあれ、もし早期の段階で第三者による調査が入ってしまってたら、世界での日本の信用は地に堕ちるどころか、地を突き破って奈落の底のさらに奥底に埋まり込んで、二度と這い上がれなくなってたのでは?
 レーダー照射問題も輸出規制問題も、ネット右翼が跋扈する日本国内でなら、正義は我にありと嘯いていい気分でいられるのかもしれないが、そこに建設的な意義があるのかといったら、皆無だろう。むしろマイナスにしかならない。いや、すでになっている。
 現に、仕事の受注が減って困っている人もいる。このままいけば、倒産する企業も出てくる可能性がある。
 つまらないプライドにこだわって、実を取ることをおろそかにするのはバカのすることだぞ。プライドなんかで腹が膨れるか?って話だ。
 個人的に韓国が嫌いなんだったら、そりゃあ個人の思想信条の自由の範疇だし、文句言う気もないんだけど、「立場を考えろ」って常識的な思考回路を持ってる市民は思ってるんだよ。
 安倍ちゃんを筆頭にする右翼政治家たちは、国際的な影響が出ないように、そろって政治家を辞めて個人で(あるいはネット右翼とお手手つないででもいいよ)嫌韓運動でもなんでもしててくれ(できれば絶海の無人島で)。いい加減、関係ない一般市民を巻き込むな。






# by faint_breath | 2019-08-21 00:31 | 残日録
 ZABADAKの吉良知彦さんが亡くなったとき、驚きとともに、そのことがYAHOO!のトップページに掲載されたことを、そういうふうに採りあげられるクラスの人だったのだという、客観的な基準を得たような気がしたものだ。
 というのも、私はZABADAKの全盛期でもZABADAKのことを知らなかったくらいだから、音楽通ではない世間一般の認知度はそんなものだと思っていたのだ。
 私は全盛期を過ぎてからZABADAKを知って、これは一般受けする音楽をやる人ではないなと思いつつ、上野洋子さんとのふたり体制時代の作品については気に入って(いまでも聴くことがある)、以降の作品についてはあんまり……という感じで離れたという状況だった。
 だから、訃報を受けて、まだ若いのにという驚きはあっても、大昔に付き合いがあった今は疎遠な人の訃報に触れたのと同じで、どこか他人事のような感覚で、そのうえで、「ああ、こうしてニュースになるくらいには有名人だったんだな」と確認する機会になった。

 吉良さんの訃報に対するヤフコメの中に「本物の音楽を知っている数少ない音楽家のひとりだった」というようなものがあったと記憶している。
 こういうことを簡単に言ってのける人に対して、私は「本物の音楽って、なんですか?」と訊いてみたくなる。
 私は全盛期のZABADAKの音楽が好みに合って、単純にイイと思ったから聴くようになったにすぎない。
 ZABADAKだけではない。paris matchも「カッコイイ曲作るなあ」で聴き続けているし、ザ・なつやすみバンドも、最初に触れた「Odyssey」のキラキラした瑞々しさをきっかけに、そのかわいらしい雰囲気にも惹かれてファンであり続けているだけだ。
 最近では超メジャーなスピッツを改めて「いいなぁ」と思うようになっていて、それは彼らの楽曲に共通している独特な透明感のある空気感とでもいうものがイイと思うからで、結局のところ、どの人たちでも「自分の好みに合っていたから」という理由で聴いているにすぎない。
 で、そういう個人的に評価している人たちが「本物の音楽」を作っているのかどうかなんて、私にはわからないし、そもそも「本物の音楽」がどういう音楽なのかもわからない。
 吉良さんに対して「本物の音楽を知っている数少ない音楽家のひとりだった」という評価をできる人は、つまり「本物の音楽」なるものがどういうものなのか知っている人、ということになる。
 ずいぶんとエラい人なんだなあ、と思う。
 多くの音楽家たちが、自分のやりたい音楽とエンタテインメントとの両立に苦心しつつ、それぞれの理想を追求しつづけているなか、そのヤフコメ民はその到達点どころか、そこを見おろす地点にまで悠々と達しているらしいのである。たいしたお方だ。

 かつて小田和正さんがネスカフェゴールドブレンドのCMのオファーを受けたとき、「違いのわかる男の」という有名なフレーズを使わないことを受諾の条件としたのだという。
 私は小田さんの体育会系な言動をあまり快く思っていないのだけれど、このCMの件については、非常に好感を持っている。
 芸術や文化といった感性に関わるところが大きい分野に関しては、基本的には理屈じゃなくて、自分が好きか嫌いかで接するものなんじゃないかと思う。
 数億円のヴァイオリンの音がイイと思う人もいれば、安物のヴァイオリンの鄙びた音の方が好きという人がいてもいいわけで。
 材料から調理法まであらゆるところにこだわって「本物のラーメン」を創り上げたという能書きを、客に見えるところに掲示してあるラーメン屋で、全然味のしないような薄っすーいラーメンを食わされたことがあるのだけれど、そういうものを食わされるたびに私は「いいから味の素入れろよ」と思う。ラーメンってガッって食ってガッて味わってガッて満足する食べ物だと思っているので、こだわった結果、味のしないラーメンよりも、ジャンクなラーメンの方が私には「本物」なのだ。
 そういった感性が支配的なところでは、何が本物なのかなんて人それぞれなんだし、簡単に決められるものではないのだから、私は「違いのわからない男」のまま、自分の好き嫌いに寄り添っていろんなものに触れていきたいなあ、と思う。

 そういえば。
 ずいぶん前に濱田マハさんが結婚したことが地元紙に載ったときには驚いたが、最近、黒川芽以さんが結婚したことは載らなかったな。
 まあ、マイナーな女優なのはどっちも同じだが、黒川さんの方がどちらかといえば(あくまでもどちらかといえば)名が知れてると思っていたので。
 さらにいえば、音楽界のレジェンドにしてスーパーギタリストの松原正樹さんの訃報も新聞には載らなかったし(青純は載ったのに)。
 慶弔ごとの掲載基準がわからん。






# by faint_breath | 2019-06-23 08:03 |
 散髪に行ったのは2週間ほど前の話だ。
 終わったのは夕方で、まだ日暮れる前だったので、そのまましょぼい繁華街をぶらついた。
 普段は高くてとても買えないデパ地下の寿司が半額になっていたので、それほど食べたいとは思っていないのに、つい買ってしまった。
 こんなときしか買えないのだから、という思いばかりが先走り、必要のないものを買ってしまうという、貧乏性の悪いところが出てしまったかたちだ。
 980円が半額で約500円という、それほど無理しなくても出せる金額だったというのも大きい。
 寿司を買い、そのままさらにぶらついているうちに、それほど食べたいと思っていなかった寿司のことなどすっかり忘れ去り、空腹とともに何度か行ったことのあるタイ料理店のことが頭に浮かんだ。
 そうだ、たまにはあそこに行ってなんか食べよう。
 寿司のことなどまったく思い出さなかった。
 そうして行ってみたタイ料理店は従業員研修中だとかで、次週半ばまで休業という貼り紙がしてあった。
 その店が入っている同じビルの別の階が空きテナントになっているらしく、不動産会社による「貸物件」という看板が目立って貼ってあるため、あたかもそのタイ料理店がつぶれて空き物件になってしまったかのようにも見える。
 ちょうど同じように店を訪れたところらしい女性2人客も、不安そうに入口のあたりにたたずんでいる。
 では、と、二番手候補に挙げていた中華料理店に行ってみた。安い店ではないが、『ぐるナイ』の「ゴチになります」に出てくるほど高価な料理を出すわけではないので、2品くらいにしておけば、それほど大出費になるわけではない。
 とはいえ、寿司を半額で500円だからと喜んで買っておいて、数千円の中華料理を食べようというのだから、ちょっとおかしなことになっている。しかし、そのときには寿司のことなどすっかり忘れていたので、それは仕方のないことだ。
 雨のためか客はすくなく、予約なしでもすんなり席に案内され、無事に食事を終えた。
 味はすばらしく、しかしそもそも2人分を想定した量が1単位となっているので、かなりの満腹となって店を出て、そのまま帰宅した。もちろん寿司のことなどまったく思い出さなかった。

 翌週の週末、ある用事のために県東部へ出かけることとなり、そのついでに久しぶりにアウトレットモールへ行くことにした。
 首都圏から近い立地ということもあって、週末は朝から大渋滞が起きることで有名な場所であることから、まともに昼間の時間に行くことは避けて、帰宅ピークを過ぎた夕方に到着し、人が少なくなって歩きやすい場内を、閉場時間ちかくまでゆっくりと見て回った。
 このアウトレットモールというものについて、以前から思っていることを書くと、これほど多くの人たちがこぞって買い物に訪れる場所だというのに、商品の値段が全然安くないのである。
 いや、正規の店(?)で買えばもっと高いのだということは私も承知している。
 たとえば、以前私が地元のデパートで、いとこの出産祝いを買うついでに冷やかしで見てみた英国ブランドのテナントでは、コート1着が30万円という異様な数字が踊っていたものだ。
 そういうものを買えるような富豪なんて、こんな田舎町にいるものか!と思うものの、そういうものが作られているからには、世界規模の視点で見てみれば、平気で買える者がこの世のどこかには存在しているのである。
 で、そういった異常に高い値段のものが、アウトレットモールで安く買えるのかといったらそんなことはなく、「異常に高い」が「超高い」か「高い」になっている程度で、決して「安い」にまではなっていないのである。
 ちなみに私が地元デパートで見た英国ブランドはアウトレットにも出店しており、別の商品とはいえ、コート1着を10万円で売っていた。
 結局は、私のような庶民には手が出せない値段なのだ。
 それなのに、首都圏から大挙して人々が訪れているのは、いったいどうしたことか?
 いくら首都圏の平均給与額が地方より数万円高いとはいえ、わざわざこんな田舎に交通費をかけてまでやってきて、全然「安い」になっていないものを買うよりは、自分たちの地元でそこそこのものを買う方が、よほどマシではないのか?
 と、いくら私が理屈を述べたところで、現実に人々は大挙して訪れていて、その人々が落とすお金で地元は潤っているのである。
 やはり首都圏には金持ちが多いのだろうか?私にはあずかり知れぬ世界の住人たちなのかもしれない。

 そんな金銭感覚が異次元のテナントもある中、ちょっとがんばれば庶民にも手が届く値段の商品を販売しているテナントも少しはある。
 BEAMSとかユナイテッドアローズなどがそれにあたり、私の場合、そういうところ以外は冷やかしになってしまう。
 しかし、そういうところでの買い物には注意を要する。
 結局のところ、陳列されているのはアウトレットであり、通常店で売っていたものの売れ残りや訳アリ品なのである。
 本当に欲しいものであれば、通常店でもちょっとがんばれば買えない値段ではないのだから、おそらくそのときに買っているのである。
 つまり、アウトレットにあるものは、「べつにいらねーや」という判断を過去に下したものの可能性が非常に高い。
 そういうものを、観光気分で財布のひもが緩くなっている状態で、以前に見たときよりも多少安くなっているからといって、どんどんカゴに放り込むのは、冒頭で述べたような、たいして食べたくもない寿司を買ってしまうのと同じようなものなのだ。

 というわけで、その寿司のことを思い出したのは、アウトレットへ行ったさらに翌週、つまり、買ってから2週間後のことであった。
 その存在を忘れ去られたまま、2週間をお出かけ用バッグ(笑)の中で常温保存されていた寿司は、大量の褐色の液体の中に、元はシャリだったと思しき白い粒がところどころ混じった異様な姿で発見され、即座に廃棄処分となった。
 こんな大量の水分がどこからやってきたのか?空気中の水分か?自然の力はスゴイなあと思ったが、感心している場合ではない。
 どういうわけか、バッグの外には臭いが流出していなかったのだが(だから気付かなかったのだが)、バッグの中は丁寧に洗濯しても臭いが消えなかった。こんど煮沸殺菌処理しよう。
 安いからって、必要ないものを簡単に買わないように。




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# by faint_breath | 2019-06-17 00:41 | 残日録
 (1)(議員などを含む)公務員であるための条件
 日本国憲法の第九十九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」という内容である。
 逆説的には、憲法を尊重せず擁護しない者は、天皇又は(略)その他の公務員となる資格がない、ともいえる。
 つまり、天皇又は(略)その他の公務員の中に、憲法を尊重せず擁護しない者は存在しないという前提である。
 というか、そういう者が天皇又は(略)その他の公務員であることを、日本国憲法は想定していないといえよう。
 で、その日本国憲法の第九条は、1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と記している。まあ、有名な条文だから、多くの人が知っているかと思う。

 (2)戦争を手段として「考慮すること」の憲法上の解釈
 次に、太字にした部分、「国権の発動たる戦争と~武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては~放棄する」について。
 「国権の発動たる戦争」とはどういう意味かというと、国際法上で戦争とされる行為、つまり、単に戦争のことを指すようだ。
 日本国憲法では、戦争を「国際紛争を解決する手段としては放棄」しているにすぎないので、自衛のための戦闘行為は対象外であるという解釈もあるという。
 では、「国際紛争」とは?
 ブリタニカ国際大百科事典小項目事典によれば、「希少な資源、力、あるいは位置などをめぐって対立する当事国が相互に相いれない要求を掲げ、一方の目標が他方の犠牲においてのみ達成されるような状況で、戦争よりも包括的な概念である。」ということである。
 太字にした部分の、「位置」を「領土」に置き換えてみよう。
 領土をめぐって対立する当事国が相互に、一方の目標が他方の犠牲においてのみ達成されるような状況
 どういう状況かというと、「ここはウチの領土だ」とAが言えば、「いいや、ウチの領土だ」とBも主張するうちに、自国の領土であることを名実ともに明らかにするためには、双方とも相手がどうなろうと知ったことではないという態度や行動に至った状況のことだろう。
 ここで、Aを日本、Bをロシアとして、AがBに対して、領土奪還のためとして戦争を仕掛けたとする。
 AとBどちらも自分の領土と主張しているため、お互いに相手の言っていることは「お前がそう思うのならそうなんだろう、お前の頭の中ではな」という状態である。
 この場合の戦争はAにとって、相手からの攻撃に対する反撃もしくは防衛、つまりは自衛のための戦争ではないし、Bにとっては侵略戦争の様相を帯びてくる。
 いずれにしても、相いれない要求を押し通すためにAによってなされた戦争は、「国際紛争を解決する手段として」の「戦争と武力の行使」であり、日本国憲法に違反する。したがって、Aが日本であるかぎり、このような戦争を手段として考慮することは、あってはならないことであるし、考慮すること自体が憲法の記載事項と矛盾するといえよう。

 (3)結論
 (1)(2)の条件から、領土奪還(=国際紛争)のために戦争を選択肢とする考えを持つ者は、天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員である資格を有しない、という結論が導き出される。
 よって、丸山穂高よ、君は即刻辞職しなければならない
 国会議員は解職請求の対象外のうえ、本人の意思以外によって「解職」されることがないという。
 だが、そもそも丸山には国会議員でとなる資格がなかったことが判明したのである。
 であれば、当選してから現在までに、無資格でありながら受け取っていた税金を原資とする歳費をすべて返納したうえで(もちろん利子をつけて)、速やかに公職を辞する必要がある。
 丸山は「自分の発言が憲法違反だというのは無理がある」とか弁明したようだが、そうではなくて、制度上、丸山のような者が国会議員であることに無理があるのである。
 なお、自分の進退について丸山は、「最終的には選挙での有権者のご判断によるべきもの」と考えているそうだが、そもそも国際紛争の解決のために戦争を手段として選択肢に考えている者は、天皇又は(略)その他の公務員となる資格がないのであるから、丸山は立候補すること自体が不可能である。
 よって、「最終的には選挙での有権者のご判断によるべきもの」というのは画餅であって、世間にはまったく通用しない戯言である。




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# by faint_breath | 2019-06-10 06:34 | 極右観察

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